神奈川 丹沢大山 |
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行程 2016年5月31日
5/30:羽田=小田急 本厚木駅=秦野駅=グランドホテル神奈中・秦野
12:55-14:05 15:10
5/31:ホテル=ヤビツ峠-表参道合流-山頂ー(表参道)-お花講の門-下社
-8:18 9:12-9:30 10:40 11:00-12:06 13:35
=ケーブル山上駅= 不動駅-大山寺-追分駅=伊勢原駅
14:00 14:30
=新宿=赤羽駅=足立 |
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コースと概要 以下、クリックで地図、写真拡大します |
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グーグルマップとGPS |
歩行断面 |
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2014、2015に続いての大山詣り。今回は2014年と同じく、小雨と霧の中となりました。 かっては山と高原地図にも記載されていない北尾根バリエーションルートなど沢山のコースがあり、
首都圏時代は百回を超えて訪問。藪漕ぎ、唐沢川源頭の草付きから転落、獣道に入っての道迷いなど楽しませてもらいました。 |
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秦野グランドホテル |
ヤビツ峠行き |
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この天気なのに大勢のハイカーがいて驚き。秦野駅から出るヤビツ峠(大山だけではなく表丹沢の登山口)行きのバスは満員で、臨時便まで出ました。休日など満員で臨時便が出たりもしましたが、平日のこんな天気で経験したことありません。
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かっては、私がどちらかというと若い方で、もう少し先輩方が多かったが、 いまは・・同年代の男女だけではなく、平日なのに若い方も多く、途中で別コースから登ってくる大勢の山ガールにも出会ってびっくり。登山ブームなんだ。
標高が約760mのヤビツ峠で下車した若い方達は負荷のある表丹沢コースへ。 |
ヤビツ峠 |
蓑毛からと合流 |
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やはり、軽めの大山コースへ向かう方達は同年配の人が多い印象。 |
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展望はないものの、霞む霧の海ななかにウツギ、ヤマツツジそして紅色の筋が入ったサラサドウダンの花などが浮かび上がります。 |
ギンリョウソウ |
ヤマツツジ |
ウツギ |
サラサドウダン |
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ハイカーの増加もあってか、登山道も年々整備が進み、以前にはなかった木道とか鎖も増えています。ヤビツ峠コースと阿夫利神社の下社からの表参道が合流する手前は富士山と丹沢表尾根の好展望地だが、今日は霧で目の前が見えるだけ。 |
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山頂は少し霧が薄くなり、北尾根の入口のある裏側にまわったが、やはり富士山、表尾根そして塔の岳~丹沢山~(蛭ヶ岳方面)、丹沢三ツ峰などの展望はなく、もちろん東京の街を挟んでの筑波山などは影も形もなし。 |
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標高1252mの山頂奥の院に参拝、早いお弁当を終えて表参道を標高700mの下社へ。霧が濃くなり濡れた石ゴロゴロの道は滑りやすく突っ張る足が疲れます。 |
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お花講の門を潜ると下社の境内。まずは、門の前に置いてある御幣で自分にお祓いをして小さな交通安全のお札をいただきます。 |
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下社 拝殿 |
下社から石段 |
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下社で参拝し眼下の相模湾を見下ろすも、生憎の天気で江ノ島も見えません。
例年、更に女坂を歩いて大山寺に参拝して大山ケーブル下のバス停まで行くのだが、この女坂も歩きにくい崩れた石段。濡れると滑りやすいので、用心して大山寺までケーブルを利用する。 |
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下社の石の階段に沢山の幟がたてられています。今年の4月に大山を核とした大山詣りが以下のキャッチで「日本遺産」に認定されたらしい。
*江戸庶民の信仰と行楽の地
~巨大な木太刀を担いで
「大山詣(おおやままい)り」~ |
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*大山詣りは、鳶などの職人たちが巨大な木(き)太刀(だち)を江戸から担いで運び、
滝で身を清めてから奉納と山頂を目指すといった、他に例をみない庶民参拝である。
そうした姿は歌舞伎や浮世絵にとりあげられ、また手形が不要な小旅行であったことから
人々の興味関心を呼び起こし、江戸の人口が100万人の頃、年間20万人もの参拝者が
訪れた。
明治の神仏分離令で現在の下社の位置にあったお寺が標高550mほどの場所に移されて、ご本尊の不動尊を祀っています。 |
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その大山寺。ケーブル中間駅から行くのは初めて。立派な参道がありました。 |
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参拝してから、山道をケーブル下駅まで下り、更に豆腐料理の店、土産物店、宿坊などが並ぶ「こま参道」を標高340mほどのバス停まで。
伊勢原駅から本来の予定ある東京へ移動。
今年も丹沢大山詣りができました。また、一年後に元気に来られと良いなあ(^_^)。 |
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○番外編 大山阿夫利神社の歴史(2013年のHPから転載) |
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大山の江戸期の絵地図を入手、なかなかの資料ではないかと思います。
大山の山頂からは、縄文式土器や土師器・須恵器などが発掘されており、素朴な原住民達の信仰が原始時代から古代にかけて既にあったのではないかといわれているそうです。
開山は天平勝宝4年、良弁大僧正による不動堂の建立がはじまりのようです。
神仏習合・修験道の霊山となり、江戸時代には大山参りが盛んで、江戸からの大山道が沢山あるようです。 春日局の大山詣では有名ですね。 |
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山頂には石尊社、大天狗社、小天狗社・風雨神社などがあったようですが、神仏分離令によっていまは阿夫利神社の奥の院と称されています。かっての不動堂もいまは阿夫利神社下社となり、本来の大山寺(不動堂)は少し下の方へと移動しています。
現在の阿夫利神社という名称は過去にさかのぼっても見当たらないので、神仏分離令の時に造られたのかも。大山の別名である雨降山からできたのかしら。
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