徳島 中津峰 |
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行程 2015年4月12,17日
4/12 徳島市内=いやしの道・如意輪寺 分岐-(いやしの道)-山頂
-パラグライダー基地-森林公園 遊びの広場-いやしの道・如意輪寺 分岐
-如意輪寺=徳島市内
4/17 徳島市内=金谷駐車場-(一風新道)-平石山分岐-山頂
パラグライダー手前のキャンプ場-山頂-(いやしの道(沢道)-金谷駐車場 |
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コースと概要 以下、クリックで地図、写真拡大します |
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カシミールとGPS |
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4/12
このところ雨続きだが、今日は晴れ・・・快晴とはいかないまでも、なんとか山歩きはできそうと、近場の中津峰に。
なんとまあ、丹沢の大山に行ってから約1ヶ月ぶり、文化の森~植物園の稜線歩きからだと約2週間ぶり(^_^;)。 まずは足慣らしと、中間地点からのショートコースです。
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カシミールとGPS |
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4/17
一週間前から特にこれといった原因が思い当たらぬ腰痛(^_-)。その前のちょっと長めの車運転のせい?・・・といっても、たいした事はなかったし。
4/12にショートコースを歩いたが、もうひとつすっきりしない。スイミングも少し抑え、ソファーに横になって読書だが、座骨神経痛まで出始めそう。
これまで実績のあるリハビリ対策をと、再度の山歩き。今度は中津峰山のフルコース。 |
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4/12 中津峰山ショートコース |
山頂 天津神社 |
山頂 大川原高原 |
山頂 ベンチ |
ベンチ オボロヅキ |
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雨続きだったたし、休日ということもあって、いつもの中津峰愛好家グループでしょうか、金谷の駐車場は満車状態。時間早くて、山頂ベンチはまだ閑散。 |
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いやしの道にはスミレが満開。 |
ミヤマシキミ |
杉の子 |
ひょろっと
テンナンショウ |
シハイスミレ? |
タチツボスミレ? |
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八重桜 植林 |
育ち悪く
花もまばら |
??? |
まばらな花 |
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山頂を通過してパラグライダー基地へ。途中の草原、植林された八重桜は育ちが悪いようだ、 |
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パラグライダー基地、珍しくフライトグループがおられた。
基地を回り込んだところで、10Kg超えの自転車を担がれた男性に出会う。 |
基地の花は?? |
フライトグループ |
テイクアウト! |
自転車担ぐ方 |
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下山は森林公園にまわり、遊びの広場でお弁当。山桜の花がまだ残っています。 |
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いやしの道の登山口と如意輪寺の分岐へ行く林道で、トレイルランの方に出会う。
マウンテンバイクグループもいたし、今日はハイカー以外の方々が大勢だ。 |
トレイルラン |
ヨゴレネコノメ |
ヤマルリソウ |
ハルリンドウ |
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久しぶりに如意輪寺に参拝。
植えられていたムサシアブミが激減していた。
強風で手水舎が壊れたようだ。 |
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4/17中津峰山フルコース |
シダベーダー(^_^) |
モチツツジ |
オンツツジ |
ムサシアブミも健在 |
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今回のコースは一風新道から。登り始めの下の方には、もうオンツツジが花を咲かせています。まだ蕾が多いが、気の早い木は賑やかに満開に近い。モチツツジもちらほら。
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お地蔵さんを過ぎた辺りではミツバツツジの花が残っています。2月頃は椿のがいっぱいだったが。 |
お地蔵さん |
ミツバツツジ |
平石山分岐 |
分岐から市内展望 |
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頂上近くではまだまだツバキの花が見られます。
これまでクロモジと思っていた木はアオモジかも。少しだけ花が残っている。 |
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山頂には先客のグループが数人おられるので、そのまま通り過ぎてパラグライダー基地の手前でお弁当。 |
頂上 天津神社 |
頂上から |
頂上 下のベンチ
に数人 |
お弁当場所から
大岩 |
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下山はいやしの道、そして沢コース。ハルリンドウがあちらこちらで花を咲かせています。
沢コースではタケノコが顔を出してています。 |
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山に入ると身も心も快調に、とはいえ流石にいつもよりは鈍足です。沿面距離が約12Km、累積標高差は約1100mといつも並みの負荷だが、休憩が多かったせいか約6時間もかかった。 |
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山中での瞑想・・迷想・・妄想(^_^;) |
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原因は前日までソファーにひっくり返って読んでいた笹本遼平さん(*)の 新作「その峰の彼方」(**)かな。
*笹本さんは、昨年に映画化された「春を背負いて」の原作者
**2014年発行らしい、図書館で偶然見つけて借り出し
---本の概要---
北米大陸最高峰・マッキンリーが舞台のかなり分厚い山岳小説。
マッキンリー植村直己の遭難でも有名だが、時代は更に現代に近いです。 先鋭的なアルピニズムにはまった主人公の生き様が描かれています。
日本では受け入れられず、いはば逃げ出したアラスカでガイド会社を起業。 優れた技術もあり、マッキンリー難ルートの登破、閑散期にはヒマラヤ難 ルートへのアタックなどで一流クライマーとしても認められ、かつ優れたガイド技術で現地のガイド仲間などにも受け入れられ、幸せな家庭ももつ。
アラスカの活性化と居留地で明日への希望を持てない原住民のため、リゾー トビジネスを企画。 アラスカ政府からも原住民からも期待を寄せられ、日本のアラスカツアー会社とのコラボをして、かつ大手銀行から大きな融資も得られる見通しに。
その中で、何故か命をかけた厳冬期の困難ルートに単独挑戦し遭難。 分厚い小説だが、話はその遭難と救出を描いています。
そして、そこに描かれるテーマは・・・かなり仏教的な自己の探求。
厳しい氷と風雪と岩のなか、命ぎりぎりの状態で、大きな存在と対峙し、それまで追い求めていた自己の確認に至る。そして大きな存在(宇宙?、自然?)に取り込まれていく至福感、命の放棄という意味合いではないが、そこに留まってしまいたいという感覚にもなる。
・・・これって、涅槃かもしくは解脱か?
言葉での表現は難しいのでしょうが、あまり表現の出来は良くないかも。コミックなど絵を駆使する手法の方が表現しやすいかも。
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---で、話は山を歩いていての瞑想、迷想、妄想に戻ります---
人のいない山を独りで歩いていると心がふわーっと周囲に宇宙に拡がっていくような感覚にとらわれる事もあります。
今回は、前日まで読んでいた本に影響されてでしょう、なんとなく漠然と死=開放という概念が浮かび上がってきました。
人も含めて生物は熱力学の基本法則に逆らってエントロピーを極小化し、身体も心もギューッと凝縮されきった存在。 おそらく、死ぬときには、この極小化されたエントロピーも本来の状態に増大し、そして凝縮された身体も心も解放されるのではないか。
その開放の瞬間はかなりハッピーなのかもしれない。
汚い表現で恐縮ですが、卑小なたとえでは「溜まりに溜まった尿を放出したときの至福感」にも通じるか(^_^;)。
以前に、立花隆さんが世界中の著名な脳学者を訪ね歩いて、臨死体験の研究に関するドキュメントものをまとめてテレビ放映。
その中で、神秘体験を起こすのはは脳の辺縁系による、死の間際に辺縁系は不思議な働きをする。眠りのスイッチを入れるとともに覚醒を促すスイッチも入れる。それによって極めて浅い眠りの状態となり、目覚めながら夢を見るいわば白昼夢のような状態になる。そこに、辺縁系は神経物質を大量に放出し、人を幸福な気持ちで満たすそうだとの事。
この辺縁系は、脳の最も古い部分で爬虫類にもあるとされている、辺縁系による神秘体験は人が長い進化の過程で獲得した本能に近い現象ではないかと。
こちらは、生理学的な面からの幸福感についての説明になっています。そして、先ほどの凝縮状態から全宇宙に向かっての開放という至福感は、もう少し物理的な面からのアプローチかもと・・・妄想です。 |
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