京都トレイル 蹴上げ~大文字山・銀閣寺
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行程  2015年2月18日
    徳島市内=鳴門IC=明石大橋=京都 蹴上-南禅寺 三門-南禅寺水路閣-インクライン
     6:40     -7:35           -10:20     10:35      10:45
    -日向大神宮-思案処-四つ辻-大文字山--火床--銀閣寺前・うどん屋「おめん」
        11:10   11:30   12:35  12:45-13:05 13:20-13:40   14:15-15:00
    -大学キャンバス-銀閣寺前=鳴門IC=徳島市内
         15:30---15:40

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します


今回のコース

約70Kmの全コース
大山のスノーシュートレッキングで利用したバスツア会社の京都トレイル「蹴上げ〜大文字〜銀閣寺」に参加。
京都市、京都府山岳連盟,京都市観光協会などが、全長約70キロのコースと京北エリアを一周する全長約40キロのコースをつくり整備。
今回は、その一部の「蹴上げ〜大文字・銀閣寺」の稜線を歩くコースを山岳会の現地ガイドが案内してくれました。コースは1991年に開設との事。


雄観奇想の額

トンネルを抜けて
蹴上インクラインの下を抜けるレンガ造りの歩行者専用トンネルからスタートです。出入口には第三代京都府知事による「雄観奇想」の額が架かっています。
トンネルを抜けて立派な風情ある邸宅「何有荘(かいうそう)」、茶人の透月斎竹窓によって改修された大寧軒。そして「黒衣の宰相」崇伝和尚が南禅寺塔頭の現地に移建した金地院、東照宮と鶴亀の庭があります。

何有荘(かいうそう)

大寧軒

金地院東照宮

山名宗全 墓所

天授庵

南禅寺 三門
山名宗全の墓所のある南禅寺真乗院、南禅寺塔頭の天授庵を過ぎると、石川五右衛門の伝説で有名な南禅寺三門(寛永5年(1628)藤堂高虎が再建)へ。
三門からは蹴上げの古代ローマの水道橋に似たレンガ造りの南禅寺水路閣を潜り上の水路に出ます。 橋の下の連なりに関連ない筈のカトマンズのパシュパナートを思い出し。

南禅寺水路閣

水道橋の下

パシュパナート

水路

導水管

インクライン

インクライン
勢いよく水が流れる水路をたどるとインクラインのレールと船を乗せた台車の展示などに到着
インクライン、疎水には発電所も併設されて、インクラインの台車運搬だけでなく日本初のチンチン電車にも使われたらしい。これらの計画を立案、工事を指導した田邊博士の銅像が建っています。

発電水路

発電設備

田邊博士の銅像

日向大神宮

影向岩
急な山道を行くと日向大神宮。 伝承では、第23代顕宗天皇の時代に筑紫日向の高千穂から勧請。応仁の乱で焼失し、江戸時代に再建。「京の伊勢」とも称されて「ひゅうが」ではなく「ひむかい」と読むとの事。外宮・内宮から坂道を登ると、神が影向岩(ようごういわ)があります。これは神が下りる依り代の神聖な岩との事。
更に上には戸隠神社を祀る「天の岩戸」?がありました。

天岩戸 入り口


出口

思案処

山道

キジ?ヤマドリ?

キジ?ヤマドリ?
稜線をたどるが、前日からの雨で道はぬかるみ歩きにくい。幸い、雨は当初の小降りから次第におさまってくる。 途中でヤマドリ(キジ?)に出会う。、
展望の開ける場所から京都市街地、遠くに雪で白くなった愛宕山が見えます。途中のシイの木が切り倒されています。温暖化で北上してきたカシノナガキクイムシが持ち込む菌で被害を受けた木が伐採され、飛散を防ぐシートがかけられている。

展望地から市街地

カシノナガキクイムシ被害

林道工事

山頂

大阪の高層ビル

憧れだった都ホテル

三角点
四つ辻を過ぎて大文字山の山頂。大阪の高層ビル。眼下に都ホテル、京都にいた50年前は憧れのホテルで、社会人になって首都圏から車でランチしに来たことも。
山頂から送り火を焚く火床へ移動。弘法大師を祀った祠から火床が点在?(「大」のどこになるのか判りません)。
ガイドさんより大の中心がここと教えてもらう。

弘法大師

火床

火床 大の中心

集合写真

比叡山

大の右払い部分
雪で白くなった比叡山が見えます。更に下ると「大」の右払い部分の火床になります。
途中の千人塚は中尾城に入った足利義輝が三好、松永の軍と戦って破れたときの兵士達の遺骨を供養したものらしい。更に下にはその中尾城跡の看板があります。

千人塚

中尾城跡

銀閣寺道

哲学の途

うどん屋おめん


出発から約4時間、銀閣寺道まで下りたところで、「哲学の途」の入り口の先、ウドン屋「おめん」で14時と遅い昼食。
昼食後の約40分の短い自由時間に学生時代の懐かしい構内へとひとっ走り。 哲学の途などこの付近は学生時代を過ごした思い出の地。
あの頃は、頭でっかちの「うらなりびょうたん」。身体を動かすなどという発想はこれっぽっちもなし
  ・・・→

橋本関雪 庭園
美術館

ここを北上すると
学生時代の下宿

学生時代の研究室のあった構内

キャンバス途中の陵

吉田神社
見上げると大の字
長髪に着物で下駄を履き、手にはパイプという気障っぽい独りよがりの格好でうろつき、友人とは夜中までディベートといった石をぶつけたくなるような奴(^_^;)
歩き始めには小雨が残っていたり、自由時間で歩いている間にはにわか雨とお天気は余り良くなかったが、青春時代の京都も思い出しながら堪能・・・かな?、

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