徳島 雨乞の滝→悲願寺、神山スキーランド
神通臘梅園 |
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行程 2015年2月1日
徳島市内=神山 道の駅=雨乞の滝P-雨乞の滝-悲願寺-雨乞の滝-雨乞の滝P
6:45 7:20-7:30 7:50 8:15-8:25 9:15 10:30 10:55
-神山スキーランドホテル=神通臘梅園=神山 道の駅=徳島市内
11:15-12:45 13:10-13:30 |
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コースと概要 以下、クリックで地図、写真拡大します |
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全コースとGPS |
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ミク友ご夫妻と徳島県神山町の雨乞の滝、高根悲願寺、神山スキーランドホテル(超古代研究所?)そして神山臘梅園とフルに観光です。
各地への運転、ありがとうございました。 |
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◎雨乞の滝~悲願寺 |
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雨乞の滝には先日(1/18)に行ったばかりだが、その時には時間切れで更に急な参道を登るのを断念した高根山悲願寺へ。まずは雨乞の滝。トイレの小屋があり、地元の方がきれいに手入れして下さっています。訪問者と交換した壁メール?を貼ってあります。
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雨乞の滝は1/18訪問時にアップ(URL)しているので、ここでは省略。
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雨乞の滝の横から参道を登ります。
途中に岩穴あり、覗いてみたが祠などはなかった。 |
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高根山悲願寺、ここが邪馬台国であったという説を知ったのは二十数年前の横浜にて。それ以来、いつかは行ってみようと思いながら、やっと行く事ができました。
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手入れされた植林
以前は畑かな |
山門 |
山門の仁王像 |
山門の仁王像 |
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雨乞の滝から50分弱の登りで標高700mほどの悲願寺に到着。想像より広い境内に本堂、常夜灯、十二社大権現、賢見神社などがあります。 寺になる前は山神社で、寺の開基は、源満仲の子息美女丸とされている。かっては養蚕の守護神として賑っていたそうだが、いつ頃からなのか阿波邪馬壹国説の中心地で卑弥呼の居城した所といわれています。
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悲願寺の縁起 |
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また、この美女丸伝承も疑問。説明板に書かれている話は多田源氏を率いる源満仲の本来の本拠地である兵庫県川西市の満願寺の事ではないかと。後世になって、謡曲にもなった美女丸伝説を誰かが脚色して持ってきたのかも。、ここの伝承がいつから言われ始めたのでしょうね。 |
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境内にある常夜灯の由来の看板と、常夜灯に架けられている三つの額です。本堂に近い方から「虚」「葆光」「空」です。 |
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境内にあった説明板には、
もとは悲願寺から少し下がった尾根に設置されていた古代灯台跡が 残っていて、明治の初めに境内に移されたと書かれています。 風当たりが強くて壊れるので移したらしい。
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実際には古代ではなく江戸時代に造られたものなんでしょうねえ。今の常夜灯は、 手入れさせているせいか、真新しくて古代なんてもちろんの事、明治初期のものとすら、とても
思えませんが。 |
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常夜灯に掲げられた正面の額の「葆光」。
説明板には中国古代文字(宗時代)だと書いてあります。 宗時代?。たぶん宋時代の事でしょうね。 |
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それにしても古代文字とうたっていますが、殷、周ならともかく 宋が古代かなあ?。
また、漢字の歴史を調べると、宋よりもずっと前の秦時代に 隷書、草書、行書ができ、宋になって木版技術の発展で、 楷書の印刷書体として宋朝体ができたとの事。とても古代文字とは言えませんね。
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説明板によると葆光とは、
光を隠す(・・・荘子 知得を包んであらわさぬ喩らしい) 、かすかな光(これも荘子)
大きな光(管子(衣食足りて礼節を知る・・の管仲の事)。
宋練亨甫の字(葆光子・・・宋時代の書家?)
と三つの事を書いてあります。 |
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ネットの荘子に関する情報では、「葆光」とは
あらゆる人間的な思慮分別と、そこに成立する万籟の響き、 即ち、是非の論争が本来の静寂にしずまる境地 との事。 |
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この常夜灯について、阿波邪馬台国説の話のひとつを簡易引用・・・
=三枚の古い木製の額には、本堂に近い方から「虚」「葆光」「空」=
これを続けて読むと「偽りによって(又は、空しく)光をつつみ隠した 空(高地)」という意味になる。 大和朝廷の秘密政策によって、天照大神(卑弥呼)がここに住んでいた
ことを隠したということを、暗に伝えているものと思われます。 思えてならないと・・・ |
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ともあれ、この常夜灯は蜂須賀藩主が灯火を守る為に数家を選び、 1日たりともそれを絶やせば斬首刑にしたとか →これも、どこまで事実なのか??
確かに、江戸時代に設置されていたと思われる尾根からの展望図を作成すると、 蜂須賀藩の徳島城からも淡路島、瀬戸内海を挟んだ対岸からも見えるようです。
ただ、ネット情報だと、海上の船とは関係なく、山の上で約250年間、光り輝き続けただけだと。 |
旧常夜灯から展望 |
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境内の神馬 |
旧十二社代権現 |
賢見皇神社 |
無人の社務所? |
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悲願寺の上には卑弥呼が身を清めた水垢離のタブと天からの啓示を聞いたという天寓岩があるそうだが、アクセス道が分からず断念。 |
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◎神山スキーランドホテル |
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駐車場から次の目的地の神山スキーランドホテルへと移動。スキーランドホテルと超古代研究所の看板が国道沿いにあり、十年前からここを通るごとに気になっていました。
標高400m付近、ここでスキー?、人工スキー場?
人工雪を利用するほどお客があったか? |
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広々とした庭には釣り堀、滝、釣り橋などがあります。そして川魚料理を楽しめる食事処と宿泊もできるホテルになっているようです。 |
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スキー場時代の写真があり滑ってます(^_^;)。雪じゃなくてシートを敷いてあったそう。
古代文字などそれらしい写真も。定食はまずまずです。池から掬ってきて調理です。 |
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残念ながら、以前にあった超古代研究所と書かれた立派な表札は外されてしまったようです。神山文字(神代文字の仲間)の他にソロモン王に関連したタルシシ船の写真と説明がありました(神山に来たらしい)(^_^;)。 |
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上記の神山文字は、世にいう神代文字のひとつなんでしょうね。それにしても、見事にローマ字的になっているのが面白い。工夫されたんでしょうが、ちょっと単純すぎたかな。普通のかなの五十音表は室町時代に出てきてたらしい。ついでに、ローマ字のはしりは、戦国時代にイエズス会によるポルトガル式ローマ字らしい。 |
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◎神通臘梅園 |
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神通の滝への入り口近くを反対側にあがっていくと臘梅園。標高が350mくらい。
臘梅を植えられた民家があって、無料で開放してくれています。 |
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沢山の臘梅の木を見るのは久しぶり。
2004年に長瀞の近く宝登山に行って以来。こちらは標高497mで臘梅は約1200本あり、見応えありました。隣接して日本一品種の多い梅百花園もありました。 |
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