徳島 眉山散歩、日の峰ウォーク
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行程
  2013年1月16日  眉山ウォーク:茂助ヶ原周辺
        1月19日  日の峰ウォーク:遠見ヶ原~燈台

眉山ウォーク:茂助ヶ原周辺 お天気も良くポカポカと日溜まり散策とリハビリに相棒と眉山を訪問
 眉山は徳島市の象徴、市の中心にある標高290メートルの低山。どの方向から眺めても眉の姿に見える事からの命名で、船王が聖武天皇の難波行幸にお供したときに「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山 かけて漕ぐ舟とまり知らずも」と詠われて万葉集に入っていると教わってきましたが・・・ほんとの所は??
茂助ヶ原の駐車場からロープウエー山頂駅の方へ。市内の展望、剣山方面の展望を楽しめます。
暖かく、遠景にはモヤがかかってしまいましたが、おおよその山名が判ります。

パノラマ写真

山頂の山名標識

カシバード表示

モラエス館のタイル

モラエス像
ロープウエー駅の近くにモラエス館があります。ちょっと離れた 山頂付近の広場にはモラエス像。その横の日溜まりベンチでお弁当です。
ところで、モラエスさん。
昨年に新田次郎の「モラエスが主人公の未完の作品」を息子の藤原正彦さんが書き継いだ親子合作の長編小説『孤愁〈サウダーデ〉』が出版されました。
こちらは眉山の麓です。花の少ない冬場にも楽しめる「キバナアマ黄花亜麻」、別名「モラエスの花」です。徳島を愛したモラエスさんが植え、かつ好んだそうです。 原産がインド北部から中国にかけての山地。アマ科の小低木だそうです。
名物「滝の焼き餅」を提供する和田乃屋さんの庭園で奥の白糸の滝を囲むように群生しています。

黄花亜麻

黄花亜麻

オッパショ石
そして、通称「なみだまち」で見つけたオッパショ石。
このオッパショ石。2つに割られた箇所が接合されています。 その言い伝え・・・
 名のある力士の墓石とされていた。この墓ができてから2~3ヶ月後、石が「オッパショ」と声を出し始め、こうで呼ばれるようになった。「オッパショ」とは「背負ってくれ」という意味で、石を背負うと、最初は軽いが、次第に重さを増したという。 この噂で石のそばを通る者は少なくなったが、噂を聞きつけた力自慢の男が石を訪れた。確かに「オッパショ」と声を上げるので背負ったが、次第に重くなり始めた。何者かが取り憑いていると直感し、石を地面に叩きつけた。石は真っ二つに割れ、石が声を出すことは無くなったという。

さて、眉山の名称のもととなった船王の歌です
 実際には難波から今の眉山が見えるわけないですよね。おそらく淡路島の山を見て詠んだのではとの事。
また、先日の市内ツアで観光案内して下さったNPOのガイドさんによると、
     「眉山」と呼ばれるようになったのは江戸末期からだとの事。
      それまではこの山系を構成している「佐古山」、「富田山」、 「八万山」、「大滝山」など、
      個別に呼ばれていたらしい。」
その山容もちょっと問題が・・・眉に見える方角もありますが、どちらかといえば違った形を想像する方角の方が多いかも。仰向けに寝たデベソの婦人、鰐、ナメクジなど様々(^_^;)。

日の峰ウォーク:遠見ヶ原~燈台
近くの日の峰山へ。 芝山の上にある日の峰神社を参拝した後は、三角点「日の峰」のある遠見ヶ原から燈台コースを散策。昨日とはうってかわって、まずまずの暖かい日より。遠見ヶ原のベンチでのおにぎり昼食もゆったりと楽しめました。

日の峰神社から

大神子海岸方面
先日の眉山でも気になった剣山方面の展望、今回ももうひとつ確認できないのが三角錐のきれいな山容の山です。眉山の展望図では髙城山と表示されていましたが、カシミールでは旭ノ丸ではないかと。いつか高倍率の双眼鏡を持っていて山頂を確認してみたいものです。髙城山ならレーダー塔が見える筈。
このところの寒さと雪にやられたか、やっとちらほら咲き始めた椿の花が黒く変色していました。燈台へ行く途中にやっときれいな花を見つけてパチリです。

アキノキリンソウ

アキノキリンソウ

コウヤボウキ群生

赤いコウヤボウキ
なんとアキノキリンソウが咲いていました。残り花というにはあまりにも時季外れではないかな。
そしてコウヤボウキの群生、近くには赤いコウヤボウキもありました。突然変異かな?

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