木曽御嶽山 |
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行程 2012年8月20~22日
8/20 徳島市内=飛騨清見IC=高山市=濁河温泉
7:00 15:00
8/21 濁河温泉-五の池小屋-継子岳-五の池小屋-摩利支天 巻き道-サイの河原-二の池
6:00 10:20 11:00 11:45-12:15 14:00
8/22 二の池-剣ヶ峰 直下-王滝-剣ヶ峰--お鉢巡り--二の池新館-サイの河原
6:20 7:00 7:20-7:35 8:05-8:30 9:36 10:05-10:15
-摩利支天乗越-五の池ー濁河温泉
10:40 11:15-123:15 15:40
8/23 濁河温泉=郡上八幡IC=徳島市内 |
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コースと概要 以下、クリックで地図、写真拡大します |
カシミールとGPS |
グーグルアースとGPS |
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ミク友に運転していただき、木曽御嶽を満喫。
2003年に木曽側の黒沢口から登り、次は濁河からと2008年に飛騨まで行ったが天気に恵まれず断念。今回はそのリベンジも兼ねて。
濁河に前泊し、濁河温泉口より登り、継子岳をピストンしてから二の池本館に宿泊。 夕陽と翌朝の日の出を見て剣ヶ峰に。直下から王滝をピストンして剣ヶ峰からはお鉢巡りです。
摩利支天乗越を経て五の池から濁河に戻りました。
予想していたより花もまだまだたくさん、コマクサの群生にも出遭えました。 北、南アルプスの展望もばっちりでした。 |
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○8/20 徳島→飛騨清見→濁河温泉(原生林と滝の遊歩道) |
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ワカン |
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濁河温泉の宿の近くには、滝と森林の遊歩道があります。宿の前にヤナギラン、久しぶりの出会いです。
冬はワカン手作りとスノーハイキングがあるようです。 |
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トリカブト |
タマガワホトトギス |
オタカラコウ |
ミヤマハナシノブ?
本来は紫色 |
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滝の斜面にはオタカラコウが群生。
ミヤマハナシシノブは高山植物だそうですが、宿のオーナーさん達がヤナギランなどと一緒に育成されているらしい。 |
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○8/21 濁河温泉→五の池→継子岳→サイの河原→二の池 |
翌朝は朝と昼の弁当を受け取り6時に出発。このところの天候不安定で雷が怖いので早めの出発。雷アラームなど携帯の天気予報とも契約しました。
登山道は整備されていて歩きやすい。木曽側と比べて森林帯もあり、ハイカーもぐっと少なく快適。 |
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落雷? |
ギンリョウソウ |
アキノキリンソウ |
カエル岩 |
シラタマノキ |
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森でも落雷の跡かな?怖いです。 |
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八合目の「おたすけ水」、情報どおり水は涸れいます。 |
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五の池手前のコマクサ群生地。花もばっちり\(^_^)/ |
群生地から五の池はすぐ。飛騨頂上の横を通り、継子岳へとむかいます。
山岳宗教の霊山、至る所に板碑、霊神が祀られています。天照大神の板碑は高天原? |
飛騨頂上 神社 |
継子岳へ |
毛状になった
チングルマ |
天照大神、
イザナギ・イザナミ |
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五の池小屋 |
摩利支天 巻き道 |
ヨツバシオガマ
オンタデ |
シナノオトギリ |
群生 |
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五の池で昼弁。摩利支天の巻き道はお花畑。 |
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巻き道からの風景。 |
三の池 |
摩利支天 |
チシマギキョウ |
遠くは剣ヶ峰 |
サイの河原 |
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チシマギキョウ |
サイの河原 |
ヨツバシオガマ |
イワギキョウ |
水子供養? |
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サイの河原にはイワギキョウがたくさん。 |
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広いサイの河原を抜けると二の池。 |
広いサイの河原 |
二の池本館 |
二の池 |
建国姫龍神 |
二の池本館 |
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○8/22 二の池→剣ヶ峰→王滝→剣ヶ峰→お鉢巡り→
摩利支天乗越→五の池→濁河温泉 |
翌朝、日の出は5時過ぎ。
朝食とって6:20に出発。 |
八ヶ岳より日の出 |
北アルプス方面 |
二の池 |
二の池本館 |
黒沢口、王滝分岐 |
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二の池、摩利支天 |
剣ヶ峰直下 |
王滝へ |
王滝 |
王滝 奥社 |
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分岐を見落とし剣ヶ峰の直下から王滝ピストン。 |
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けっこうな勾配を登り返して、最後に長い石段でだめ押し(^_^;)。 |
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頂上 |
二の池
摩利支天 |
北アルプス展望 |
中央、南アルプス展望 |
八ヶ岳展望 |
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頂上からの展望も素晴らしい。 |
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なかなかの迫力を楽しめるお鉢巡りです。 |
逆周りの団体 |
なかなか怖いかも |
遠くは剣ヶ峰 |
真下の一の池 |
避雷針ではなく板碑の仲間 |
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二の池 |
二の池新館 |
チシマギキョウ |
サイの河原
避難小屋 |
三の池 |
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やっと二の池まで巡回し、新館からサイの河原へ。 |
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2003年に行った摩利支天はパスし、五の池へと下ります。 |
摩利支天へ |
摩利支天乗越 |
奥が摩利支天 |
雷鳥 |
雷鳥のお母さん |
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コケモモ |
小さく黒い火山岩 |
三の池 |
盛り花(^_^) |
飛騨頂上 |
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五の池まで岩とガレ、火山岩の急斜面を下ります。 |
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飛騨頂上で参拝してから五の池小屋で昼食。ラーメンとうどんを注文。しばらく休憩して濁河温泉へと下ります。 |
モミジカラマツ |
コバノイチヤクソウ |
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○8/23 濁河温泉(遊歩道)→郡上八幡→徳島 |
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翌日はゆっくり。朝食前に近くの遊歩道。こちらにも落差20mの緋の滝がありました。 |
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徳島への帰りは郡上八幡ICへ。途中の県道の展望台から御嶽を一望。
せせらぎ街道で道の駅に立ち寄り明宝ハムなどを購入。ここには名馬「麿墨之像」が。乗っている梶原源太より有名らしい。 |
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余談:御嶽信仰、そして御嶽か御岳か? |
御嶽信仰 |
2003年に木曽福島から登山口へ向かう途中、道路の両側に林立する無数の石碑に圧倒されました。濁河側からは少なかったですが、あの石碑?板碑?が気になります。
なんでも霊神碑と呼ばれるものだそうです。亡くなった人(行者?)の魂が御嶽山へ戻る、「御嶽の神に帰る」という宗教的な世界観を表現したものだとの事。
霊神の名前は戒名の如きもので、女性の場合は○○姫霊神という名前も見られるそう。
実は徳島でも御嶽信仰が盛んであったそうです。木曽側の黒沢口から登ると八合目には四国の信者によって建立された霊神碑が沢山ありました。通称「阿波が岳」と呼ばれているそうです。、 |
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御嶽か
御岳か |
木曽御嶽は御嶽なのか、御岳なのか。現地の印刷物でもふた通りの書き方が使われています。御嶽の方が少し多いかも。昭文社の山の地図も以前は御嶽山でしたが、最近は御岳山になっているようです。
宿のご主人に尋ねると「どちらでも良い」との回答(^_^;)。
ネット検索すると、「現代ではむしろ嶽の字体を新字体で表記した御岳山や、単に御岳と表記されることのほうが多い」となっていました。うーん、神社は御嶽神社ですよねえ。 |
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余談の余談:神道そしてキリスト教の墓とか仏壇に相当する物は? |
神道
葬儀 |
仏式の葬儀・告別式にあたるものを神式では「葬場祭」と呼び、神社では葬儀を行なわない為、斎場を借りて行なうか、自宅に神官を招いて行なうそうです。
本来神式は、火葬の後、遺骨はすぐに墓地に埋葬する、最近では自宅に持ち帰り、帰家祭を行なう事も増えてきたとか。
そして埋葬後、火葬後から戻ってきた人は、修祓後の神官におはらいをしてもらい、家に入る前に手水と塩で清めてもらいます。奈良時代~平安時代の国家僧の時代はこの穢れという事から死者・葬儀に対応しなかったらしい。平安末期から葬儀に真っ正面から対応する僧侶が出てきたとか。
帰家祭は、祭壇の中央に霊璽(仏式でいう位牌)を安置し、斎主が祭詞をとなえて一同礼拝し、この後に宴を開き、世話役などの労をねぎらいます。 |
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神道
墓地 |
調べるとお寺の墓地に墓(奥津城)を設置されている方もいるそうだが、神社に墓地はなくて共同墓地の利用が一般的みたい。奥津城の形態は仏教とあまりかわらないのかな。 |
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神道
家の祀り |
自分たちの祖先が神様そのものと成りそして祖霊舎(仏壇に相当)にて祀られます。
霊璽を安置し、仏教の位牌とは違い、鞘に納め人の目に触れぬようにするらしい。
仏教といっても浄土真宗だと中国発祥の位牌はないし、仏壇はご先祖を祀る場所ではないですね。仏壇に先祖を祀るのも日本だけのような感じですね。 |
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キリスト教 |
墓地は教会にはなく共同墓地が多いようですね。
カソリックでは家庭祭壇に故人の遺影を飾ることがあるらしいが、
プロテスタントの場合は厳格に偶像崇拝を廃しているので、家庭祭壇なるものは存在しない。
ただ、写真立てに入れた写真を棚に並べるという事はある。 |
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